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院長ブログ
今日も一日、全力で顔晴ります!!!
そんな努力の末に念願のメジャーリーグで初打席を迎えたピート
最後までお読みいただきありがとうございました。
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2015.07.23
『勝者は決してあきらめない』
おはようございます!!!
今日も一日、全力で顔晴ります!!!
「勝者は決してあきらめない」
その少年は機関車と野球が大好きな普通の少年。
名前はピート。
ある日、彼はお父さんと一緒に大リーグの試合を見に行きます。
ピートはニューヨーク・ヤンキースが大好きでした。
見に行ったその試合、ピートの大好きなバッターがホームランを
打ち、逆転サヨナラ勝ち!
その試合を見て感動したピートはその日から大リーガーになることを
夢見て努力を始めます。
大リーグの世界はものすごく大変!
下から「Dリーグ」「Cリーグ」「ルーキーリーグ」
「Aリーグ」「AAリーグ」「AAAリーグ」
そして「メジャーリーグ」
ピートはメジャーリーガーを目指していましたが、それは
「挫折との戦い」
「苦悩の日々の連続」
でした。
ピートは6歳の時、ある事故により野球を断念しようと思いました。
そのとき、お父さんがピートにかけた言葉、それが
「あきらめるな、やればできる」
でした。
ピートはお父さんのその言葉だけを胸に信じ、
まさに血のにじむような努力を始めます。
草野球チームに入りましたが、
一度も練習に参加させてもらえませんでした。
しかし、彼は不平を言わず毎日玉拾いをし、
一人で素振りの練習をしました。
そして、そのかたわら野球学校に通いながら、
色んな球団の入団テストを受けました。
どうなったか?
ピートはことごとく入団テストに落ちてしまいます。
そしてピートはどうしたか?
諦めませんでした。
お父さんの言葉通り諦めませんでした。
そして、雨の日も風の日も黙々と練習を続ける彼の姿に
心を打たれた学校の先生がいました。
先生は全米Dリーグの監督に電話を掛けました。
「うちにピートという熱いヤツがいる。
見に来てくれないか、お願いだ」
その電話に触発されDリーグの監督が集まり
そこでピートは全力プレーを見せました。
ピートの晴れ舞台です。
どうなったか?
どの球団もピートを雇おうとはしませんでした。
ピートはどうしたのか?
打ちひしがれたのか?
いいえ、
ピートはそれでもめげませんでした。
一途に努力する彼。
当然、幸運の女神が見放すはずがないんですよね。
24歳の時、ニューヨークのセミプロ球団
「ブッシュウイックス」から声がかかりました。
ピートは
「大好きな野球ができる。僕はゼミプロ球団でもかまわない」
喜んで入団しました。
そしてピートはそこで素晴らしい活躍を残しました。
こういう活躍を見ている人がいるんですよね。
その活躍を見ていたマイナーリーグの
「スリーリバース」という球団の監督が
大抜擢します。
そしてピートはこのスリーリバースで何と打率.381という
素晴らしい成績を残します!
しかしこのような相次ぐ抜擢にも決して驕ることなく
努力を続けるピートに次々と幸運の扉が開かれます。
1943年AAAリーグの「メンフィス・チックス」に昇格、
そして、彼はついにこのチームでMVPを獲得
(打率.333 盗塁68)
そしてついに夢のかなう時がやって来ました。
1945年メジャーリーグの「セントルイス・ブラウンズ」が
ピートの採用を決定しました。
そしてピートの初打席
彼は大きく息を吸って
バッターボックスに入りました。
一球目、空振り
二球目、空振り
三球目
空振り、三振
ピートの初打席は三振に終わりました。
しかし、その三振を見てスタジアムの観客は
総立ちになり終わらない拍手を送りました。
おかしいですよね??
三振して拍手なんてあり得ないですよね
でも、しかし球場の観客たちはピートの
姿に釘付けにされていました。
実はピートは6歳の事故で
右腕を根元から切断されていました。
大好きな機関車を見に行って
その下敷きになったんです。
泣きじゃくるピート。
6歳にして片腕を亡くしたピートに
お父さんがかけた言葉、それが
「あきらめるな」
だったのです。
お父さんはこう言いました。
「あの時、もしもピートから野球という夢まで奪ってしまえば
もうピートには何も残らない。
『諦めるな』
と言うしか他になかった」と。
そしてその言葉だけを信じて、罵られ、差別を受け
練習にも参加させてもらえない、
ずーっと入団テストに落ち続けた、
その苦い思いを乗り越え営々と努力し続けたピート。
そんな努力の末に念願のメジャーリーグで初打席を迎えたピート
その偉大な三振に観客は惜しみない拍手を送ったのです。
しかしピートがメジャーリーグに採用されたのは、時が遅すぎました。
ピートは一年でメジャーリーガーとしての生活にピリオドを打ちます。
その後、故郷に帰り少年野球の指導をし、87歳で生涯を閉じます。
ピートは亡くなる前にこんな言葉を残しています。
「私の子どもの頃の夢はヤンキースタジアムで野球をすることでした。
そしてそれを叶えられたことが、自分の人生にとって、
最も素晴らしい出来事だったと思います。
自分のような体に障がいを持つものにとって
練習が全てでした。
でも例え練習しても自分にやってくるチャンスはわずかなものでした。
ある時、こう言われたことがあります。
「両方の腕があっても野球をするのが難しいのに
片腕で野球なんかできるわけがないだろう」
それでもあきらめず、
自分は夢に向かって練習し続けたのです。
最後に好きな言葉を贈ります。
『勝者は決してあきらめない』」
大嶋啓介氏 夢エール バックナンバーより
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これを読むとどんなことも
言い訳にできなくなります。
なにがあっても諦めない
心に響きます
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