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院長ブログ
2013.07.10
『腐らないリンゴ』
おはようございます!!
今日も一日全力で顔晴ります!!!!!
「腐らないリンゴ」
小さな子どもを見ていると、上手にできることは喜んでいつまでも続けます。しかし、うまくできないことはすぐ投げ出してしまいます。
大人だって同じですよね。
そのような時、選択肢が2つあります。
あきらめてしまうのか、自分を信じて続けるのか。
次に紹介する物語は、まさに信念を貫いた人のお話です。
青森県の木村秋則さんは、やめませんでした。
自殺を考えるほど悩み苦しみながら、やめずに最後までまっとうしたのです。
仕事はリンゴ栽培です。リンゴはほかの植物に比べ、特別といっていいほど害虫や病気に弱いと言われています。
農薬や化学肥料なしでは絶対に実がならない・・・・・・農薬を減らしつつある今の流れにあってもなお、これが常識とされていました。
ところがある時、農薬や化学肥料をいっさい使わないと木村さんは決めたのです。
もともと養子縁組の形で、木村さんはリンゴ農家にやってきました。
当時はいわゆる集約農業の常識通り、狭いところにリンゴの木をたくさん植えて、農薬を専用の大型スプレー車で霧状に散布していくのです。
この霧が作業者にかかると非常にまずい。肌が弱い人はただれて水ぶくれになります。木村さんの奥さんはいつも散布作業を終えると寝込んで、1週間くらい動けなくなっていました。
木村さんは思いました。
「肌にかかっただけでこんなに人を傷つけ、病気にさせるような、農薬をたっぷりかけたリンゴが体にいいはずがない」
疑問がふつふつとわき起こってきた時、何げなく入った書店で手に取ったのが自然農法の本でした。リンゴではなく米栽培についての本でしたが、農薬をいっさい使わずに米を実らせる方法が、こと細かに書かれていました。
「何度読んだかわかりません」
木村さんは本がすり切れるくらい読み返し、これしかないと心に決めました。
その日から、8年にわたる苦悩の日々が待っていました。
木村さんは本に書いてある通り、農薬をパッタリやめました。
すると秋になってリンゴの葉がすべて落ち、おびただしい数の害虫が発生しました。当然リンゴは実りません。
その翌年も、また翌年もリンゴはまったく実りません。
木村さんは必死でした。
「人体に害がなく、それでいて農薬の代わりになるものが必ずあるはずだ!」
そして、ありとあらゆるものを試しました。ニンニクをすって散布しました。しょうゆも試しました。土そのものを散布したこともありました。
それでも、すべては徒労に終わったのです。木村さんは一家総出で、来る日も来る日もリンゴの木についた害虫を駆除しました。
ほかの農家の畑では、青々とした葉が風にざわざわ揺れています。木村さんの畑だけが荒涼とした風景を呈していました。
でも、どんなに害虫を駆除しても、あとからあとからわき出てくるのです。
リンゴの木はどんどん衰弱していきました。
そして6年目には、肝心の木が枯れ始めたのです。
リンゴが取れなければ収入はありません。木村さん夫婦は、庭の雑草を晩ごはんのおかずにしました。
子どもたちも苦労します。
三人いた子どもたちは、小さな消しゴムを3つに切り分けて使いました。
なんとかお金を得るために、木村さんは農作業をしつつ、夜は日銭の入るキャバレーの呼び込みを始めます。
救いは奥さんでした。そんな厳しい生活でありながら、木村さんに1つも不平や不満を言いませんでした。
逆に、近所の人たちからピタッとつき合いをやめられたことが、木村さんには最もこたえました。
青森県では「かまど消し」という言葉が使われるそうです。
かまどの火が消えるということは、その家はつぶれるということです。「あんなかまど消しとは口をきくな」と言って、道行く人がみなそそくさと家の前を通りすぎていきました。村八分にあったのです。
死のうと考えたのは、6年目の夏のねぶた祭りの夜でした。
自殺を決心した木村さんは、夜遅くロープを持って岩木山に登り、死に場所をを求めて歩きました。
思いつめるきっかけになったのが娘の作文でした。
「私のお父さんはリンゴを作っています。だけど私は、お父さんの作ったリンゴを食べたことがありません」
特別なことは書いてません。だけど、まだ父のリンゴを食べたことがないというひと言が胸に深く刺さりました。
「おれは何てバカなことをしたんだ。こんな農法に手を出してみなにつらい思いをさせ、本当に申し訳が立たない。このうえは死んでお詫びするしかない」
こうしてロープを持ち、山に向かったのです。
真っ暗な夜の山をうろつくうち、木村さんはちょうど首をくくるのにあつらえ向きの木を見つけました。
いよいよ最後の時がきたのです。ところが、枝にロープをかけようとしたその時、ロープがあらぬ方向へ飛んでいったのです。
そのロープを拾おうとした時でした。ここで木村さんは運命的ともいえる体験をします。
なぜか暗い闇の中に1本、リンゴの木が浮かび上がって見えたのです。引き寄せられるように近づいてよく見たら、リンゴではなくドングリの木でした。
その時、木村さんはハッと考えました。
「なんでこの自然のドングリは、農薬も化学肥料もまかにのに、こんなに茂り、実をつけるんだろう」
あとは夢中でした。あわててドングリの根元に駆け寄って土を手で掘ってみたところ、実にフカフカとやわらかい。彼は思わずその土を口に含みました。
土はさまざまな微生物が息づく、生命のにおいがしたのです。
この時、木村さんは今まで自分がやってきたことの大きな間違いに気づいたのです。長年、農薬をまき、雑草をきれいに刈りつくしたリンゴ畑は、もはや自然ではなかったのです。
自然とは、雑草や害虫も含めてあらゆる生命が複雑に絡み合って生まれる豊かな生態系なのです。その自然の中に生きる木は、病害虫がつかないのではなく、病害虫に打ち勝つ力を持っていたのです。
つまり、病害虫がリンゴの木を弱らせていたのではなく、リンゴの木が弱っていたから病害虫がついていたのです。
「これだ、この土を再現するんだ!」
彼は確信し、最後の挑戦を決意します。
自殺を思いとどまった木村さんは奥さんに、もう1年だけ自分の農法を続けさせてほしいと頼みました。
奥さんは何も答えませんでした。
しかし、それこそがいわゆる暗黙の了解でした。木村さんはドングリの木の体験から、農法を見直します。手でいちいち取っていた雑草も伸ばし放題にし、スプレー車もいっさい使わないことにしました。
スプレー車は畑の土を踏み固めてしまいます。木は土がかたいと根の成長が妨げられ、実をつけるどころではなくなるのです。
「ならば、リンゴの木も山のドングリと同じような環境にすればよい。雑草が勢いよく根を張っているということは、リンゴの根も勢いよく張るということだ。雑草だけとったところで、リンゴの木が育つはずはない」
木村さんは、農薬の代わりにまいてきた酢を、600本すべての木にスプレー車を使わずに手散布でまき始めたのです。
わずかながらの殺菌作用のある酢を、何度もすべての木を洗うように手散布するのは、想像を絶する重労働でした。
しかし彼は、あえて雑草を伸ばし放題にし、スプレー車もまったく使用せず、ひたすら自然の状態に近づけようとしたのです。
ボウボウと雑草ばかりになったリンゴ畑を見て、近所の人たちは「ああ、バカが最後までいってしまった。狂っている」と、ささやき合いました。
結局、その年は実がなりませんでした。
翌年を迎えたある日、わずかにつき合いを続けてくれていた友人が、大あわてで木村さんの家に飛び込んできました。
「木村、畑を見に行ってみろ!」
なんだ、何があった、木が全部倒れでもしたか・・・・・・。
木村さんは畑へ飛んでいきました。
しかし、彼の目に飛び込んできたのは・・・・・・畑一面を埋めつくした真っ白な花でした。
やっと8年目で、リンゴは畑いっぱいに花を咲かせたのです。
奇跡のリンゴ。こんな言葉を聞いたことはないでしょうか。
何が奇跡かといえば、世界にたった1つ、「2年間そのまま放置しておいても腐らないリンゴ」なのです。
普通は時間とともにグチャッとつぶれ、カビがはえて腐っていくものなのに、そのリンゴは水気が抜けて枯れていくだけです。
最後は干菓子のようになり、においをかぐと甘い香りがしっかり残っているのだそうです。
奇跡のリンゴはNHKの『プロフェッショナル〜仕事の流儀』というテレビ番組で紹介され、その後『奇跡のリンゴ』(幻冬舎刊)という本にもなっています。
実はそれこそが木村さんの作るリンゴなのです。
腐らない奇跡のリンゴということが評判を呼び、今インターネットで売り出すと、数分で売り切れてしまうそうです。
もちろん味のよさはプロが認めています。
東京の白金台にある、半年先まで予約がいっぱいという人気フランス料理店では、「木村さんのリンゴのスープ」というメニューを開発しました。
オーナーシェフは、木村さんのリンゴにすっかりほれ込んで、あの味は木村さんのリンゴでなければ作れないと断言しています。
「どうしたらそんな不思議なリンゴができるのですか?」
マスコミのインタビューでこう聞かれた木村さんは「私にもわかりませんが、本当に自然のものは腐らずに枯れていくものなんだと思います」と答えました。
リンゴ作りの極意について答えた木村さんの言葉が印象的です。
「育てない。手助けするだけ」
これは私のいる教育の世界でいう「コーチング(=導く)」の極意でもあります。
続けて木村さんは、こう言っています。
「1つのものに狂えば、いつか必ず答えにめぐり合う。私は、リンゴの木にこのことを教えてもらったのです」
もちろん、誰にも木村さんのようなドラマが待っているとは限りません。
しかし、仕事で悩み、やめたくなった時、彼が自分の道を信じて8年がんばったことは、とても大きなヒントになるのではないでしょうか。
もう1年、あと半年、もう少しだけといってあがき、こうすれば良くなるだろう、ああしたらいいのではないかと方法を模索する。
そんな人には、きっとある瞬間、運命的な展開が訪れると思うのです。
出典 フォレスト出版 「涙の数だけ大きくなれる!」 著 木下 晴弘
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映画化もされました「奇跡のリンゴ」
諦めない、と一言で終わらせられないほどの壮絶な人生と思います・・・・・
でも、きっと奇跡はそんな人の目の前にある時、急に訪れるのかもしれません。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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